遠山繁年氏の絵が奇術師のように、物語の中に引き込んでいってくれます。おどろおどろしい地獄の様子が、なぜかしら笑みながら通り過ぎ、極悪非道の=陀多も憎めぬ、あわれな主人公として目に入ってくる。 今、この絵本を小学1年の息子に手渡した。・・・・小学生の児童にも「純日本文学」にふれることのできるすばらしい絵本です。
今後、この絵本<偕成社の「日本の童話名作選シリーズ」>を少しずつ息子に手渡していこうと思っている。
砂の妖精サミアドは、魔法を使える生き物。ただし、子供の願いしかきけないし、その魔法は日が沈むと同時に消えてしまう。サミアドに出会った4人の子供たちは、望みを色々と願う。 羨ましく聞こえるでしょ?けど違うのです。
第一彼(?)は、子供たちに見つかり、永い眠りを妨げられたことに対し、ご立腹な様子。子供の願いを叶える妖精のわりに子供嫌い、のようです。だから、お願いするのも大変。1日1つの魔法、ってことでしぶしぶ引き受けてもらったって感じです。
なだめたりおだてたりして、やっと願いを叶えてもらうのです。結構大変です。なのに、願いの結果はいつも×××。「きれいな顔になりたい!」てお願いの時は、女中に・・・・されちゃうし、「お金が欲しい」ていったら・・・・になっちゃうし。毎回、日が沈み魔法が消えるのを心待ちにする4人です。どの魔法の回も、ピリッと、ピクルス味なのです。
この善いとも悪いともいえないサミアド、無愛想なんだけど妙に好きになりました。4人も同じみたいで、懲りもせずにサミアドにお願いに行きます。 うーん、せめてこの本の続編だけでも日本語訳でないかな。 英文学におけるファンタジーの元祖引っ越してきたシリル、アンシア、ロバート、ジェインは、荷物整理の間赤ん坊である坊やを連れて外に遊びに出された。砂場を見つけた子供たちは砂遊びを始めるが、その時突然、砂の中から奇妙な生きものが姿を現わした。生き物は砂の妖精、サミアドと名乗った。砂の妖精の務めは人間の願いを叶えることだという。子供たちは嬉々として自分たちの願いをサミアドに叶えてもらうが、魔法の効力は日没までであるために 子供たちはとんでもない目に・・・
このお話が書かれたのが1902年、100年も前の物語なのに子供たちの願いが今の私たちの望みとそれほど変わらないのが面白いです。せっかく願いを叶えてもらえるという素敵な機会に巡り合わせながらも、考えなしに願いを叶えてもらってその度にエライ目に遭う子供たちが何とも・・・。
兄弟姉妹がもうちょっと個性的に描かれると良かったのですが、シリルとロバートの漫才のような会話や、いざとなれば兄シリルよりも度胸をみせるアンシア、そして子供たちへの言葉はキツイけれどちょっぴりロマンスの見せ場がある女中などがコミカルたっぷりに描かれています。お世辞を言うと気を良くするサミアドもなかなか。ちょっとぎょっとしてしまうお姿ですが。
須賀さんの文章、なんて綺麗なんでしょう。言葉のひとつひとつが黄金色に光り、やさしく微笑んでいるようでした。
「こうちゃん」て何だろう?日本語の言葉のようでもあり、かけがえのない思い出のよう
でもあり、須賀さんには見えていた精霊のようでもあり……。きっと、人それぞれに「こうちゃん」からイメージするものは違っているのでしょうね。でも、それはきっと美しいもので、「こうちゃん」を見ることのできた人の心を明るく、くつろいだものにするのだろうと、そんな気がしました。
須賀さんのお話と寄り添うように描かれた酒井駒子さんの絵が、とても素晴らしかった。須賀さんの文章と美しいハーモニーを奏でているような、透明感のある絵の数々。言葉と絵との幸福な二重唱。胸の中にあたたかなものが広がりました。 となりにいるような。酒井駒子さんの絵が大好きなので、店頭で見つけた時、内容も確認せずにレジへと向かいました。先入観を持たずに読み進めるうちに、本のなかから飛び出した「こうちゃん」が、私の隣にいるかのように感じていました。なでた頭のやわらかな感触が手のひらに残るほどに。読み終わったあと、抱きしめたくなる本でした。
本編の『クマのプーさん』から併せて読んで、上のセリフの意味する所を深く理解していただきたい。特に大人こそが読むべき本である。 プーさんはすごいくま!一般的なイメージでは、プーはただのかわいいくまに思われている節がありますが、実は深い知恵をもったくまです。
プーは詩人でもありますが、プーがウサギに、「その歌、君がこしらえたの?」と聞かれたときの返事がすごい。「うん、まあ、こしらえたようなものなんだ。そりゃ頭でするもんじゃないさ」。また別なところでは、「詩とか歌とかってものは、こっちでつかむものじゃなくて、むこうでこっちをつかむものなんだ。だから、ぼくらは、むこうでこっちを見つけてくれるところへ出かけるくらいのことっきり、できやしないんだ。」と自分に語るのです。作為をよしとせず、無為に生きるプーは、さながら中国の老子のように超然としています。
これはほんの一例ですが、この本には生きるうえでの知恵がさまざまなところにちりばめられていて、楽しいながらも深みに感じ入ることができます。子どもから大人まで、強く一読を勧めます。